09
2016

フライト逃したり、イスラエルの空港で拘束されたりした話

しんどい


まぁ、タイトルどおりなんですが、ほんと馬鹿です(´д⊂)

この記事を読んで、飛行機に乗り遅れたり旅行に行けなかったりした人が、

「あ〜こんなアホもいるんだなぁ、自分はまだマシだ」

と気分を楽にしてくれれば幸いです。


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行き先は豪州。しかし・・・


そもそも、今回の旅行はストレス発散も兼ねていた。

ストレスから夢遊病を起こすようになり、「こりゃアカン、旅に出よう」と思い立ったわけです。

(夢遊病の経緯は こちら を参照)



まぁ訪豪は3度目だし、勝手知ったるとは言わないが、フラッと行って帰って来られるだろうと思い、前日にババッと荷物をまとめて出発したわけです。

搭乗が開始され、余裕の表情でチケットを見せたところ、スタッフから止められた。

いわく、「オーストラリアのビザ取ってないじゃん、搭乗できないよ」と。


おんぎゃぁああああああああああ。

すっかり忘れていた。

豪州は、アメリカ同様「観光ビザ」(ETA) が必要だったことを。



2度も豪州行ってて何やってんだ。

確かあれってオンライン申請できたはず。


私は空港の wifi を拾うと、慌ててETAの申請を始めた。

空港スタッフが「離陸まであと10分」とアナウンスしている。


間に合え!つーか間に合え!!頼む!頼むよぉお!!


登録が終わり、「完了」ボタンを押した。

が、申請画面は「ただ今申請中です」から一向に変化しない。


申請が完了したかどうか、スタッフが空港の端末で何度も何度も確認してくれる。

「駄目だ、何度やっても "failed" だよ」


ゲートは私を残して無惨にも閉まった。



私は航空券もホテルもすべて格安& 返金不可 のものを取っていたので、航空券代とホテル代がすべてパーになってしまった。

同情的な視線を送るスタッフに見送られながら、私は来た道を戻った。

(搭乗口から出発ゲートに戻るわけですが、そのたびに「フライト逃した」と説明しなければならず、これまた屈辱的だった)



結局わたしは、空港を堪能しただけで帰るハメになったのだ、しかも重い荷物を引きずって。

気分はもう、『アメリカ横断ウルトラクイズ』(古い)の成田で敗れた敗者そのものである。

彼らもこんな気持ちで空港を去って行ったんだろうなぁ。


完全に自分のミスなので、誰かに八つ当たりすることもできない。

昔の私なら、この記事の下にブログ村のバナーでも貼って「かわいそうだと思ったらポチッとお願いします」などと書いていただろう。

(今も右サイドにバナー貼ってるけどさ……)



やけくそ気味なんで、かつて経験したみじめな体験をもっと書いてみることにする。




イスラエルで別室送り&取り調べ


世界でもっとも厳しい空港はどこか、皆さんご存知でしょうか?

そう、イスラエルです。


なので、通常の旅行者はイスラエル空港を避けて隣国のヨルダンから陸路でイスラエル入りする。

でも当時の私は怖いもの知らずだったので、「フフン、やったろーじゃん」という気持ちでこのイスラエル空港に挑んだわけです。


イスラエル空港では、職員が荷物に「1」〜「6」のシールを貼り付けていく。

「1」は問題なし、「6」が別室送りだ。


私には「6」にあたる変な自信(?)があった。

なぜなら、当時のわたしは普通の旅行者がいかないような変わった国ばかり好んで行っていたからだ。

しかも、小さなスーツケース1個に、ガイドもいない一人旅だ。完全に怪しい。



「6」のシールを貼られた私はさっそく別室に呼ばれた。

そして、空港職員による執拗な取り調べが始まった。


「なぜイスラエルに来たのか」

「実家はどこか」

「中東には何度行っているのか」

「家族は何人か」



そのようなことを、人を変えて何度も同じ質問をする(整合性を見るために、2人が別々に同じ質問をするわけですね、ほんと警察の取り調べみたいだ)。

さらに、金属探知機による全身&荷物のチェック。これがまた何度も何度も続く。

もちろんスーツケースの中身も全部ぶちまけられる。


隣りでは、これまた別室送りになったロシア人の女の子が不安そうな顔つきで座っている。

そこで合点が行った。


当時、イスラエルはロシアとの関係が悪化していた。

私のパスポートには、ロシアを始め、ロシア語圏のスタンプがベタベタと貼ってある。

つまり、わたしは前述のロシア人女性と共謀して敵情視察に来たスパイだと思われたのだ(だから、ただの旅行者だっつーの!)


そういや取り調べで何度も「ほんとはロシア人なんじゃないのか?」と聞かれたっけ。

(だ・か・ら・日本人だってーの!パスポート見ろよぉおおおお!!!)



拘束自体は何ともなかった。

だってしょせんは公僕の空港職員である、「拉致するわけでもあるまい」とタカをくくっていた。


ただ、寝てないのがキツかった。

フライトの都合上、イスラエルに到着したのが朝の4時だ。


もともと睡眠には神経質なほうなので、機内で爆睡とか無理なタイプである。

拘束が解かれた頃には朝の7時になっていたので、一睡もしないまま3時間近く別室送りになっていたわけだ。



「ただのツーリストだと証明するためにたくさん観光写真を撮っておけ」

そのようなアドバイスをネットで読んだ私は、とにかく観光パンフレットやら観光地の写真やら、「いかにもな」証拠をたくさんそろえて帰国の便に臨んだ。

拘束時間を考慮して、わざわざ3時間前には空港に到着していたぐらいである。



で、やはりというか、帰りもまた別室送りとなった。

取り調べ&金属探知機チェックのループ。

「いつ帰してくれんの?」「なんで拘束されてるの?」と尋ねても、空港職員は「さぁ」と言って知らんぷりを決め込む。


どうにか帰りの便の1時間前には解放されたのだが、DHCのオリーブオイルだけは没収された。

(イスラエルはオリーブで有名なので、現地土産と勘違いされたのだ)

「それ私物だから返して」と抗議したのだが、DHCのオリーブオイルは結局返ってこなかった……。



イスラエルは、やはり戦争がらみの国である。

今の私なら面倒を避けてツアーを使うだろうが、当時は「何事も経験」と思い、このような体験さえも楽しんでいる節があった。

イスラエル空港の皆さん、その節はご迷惑をおかけしました(´・_・`)


ちなみに、これが悪名高き?イスラエルのベン・グリオン国際空港である。

(拘束時間中、暇だったので写真を撮ってみた)

画像 003

画像 001




インドもなかなかハンパなかった


その他にも、グァテマラのジャングルで迷子になったり、ノルウェーでドラッグジャンキーに追いかけられたりと、まぁいろんな経験をしてきて今に至るわけです。


特に、インドでロストバゲージに遭ってムンバイの空港に荷物を取りに行ったときはすごかった。


ロストバゲージに遭った荷物が収納されている部屋を見せてもらったのだが、8畳ほどの部屋に「引き取り手のない」迷子になったスーツケースがうず高く積まれているのだ。

「これ、誰も取りにこなかったらどうするの?」と職員に聞いてみたところ、「もちろん処分するよ」と。

ロストバゲージに遭っても取りに来ない人がいるのもすごい。



……あ、インドの空港にはくれぐれも気をつけてくださいね。

ムンバイからニューデリーに移動する際、国内線のX線検査場で、グルになった職員からお札を何枚か抜き取られました。


人間だけ先に通して金属探知機の検査を受けさせ、その隙に、荷物を止めて陰で抜き取ったものと思われます。

(そのときは気づかず、だいぶ後になってお札が減っていることに気づいた)


まぁ両替してお財布をパンパンに膨らませていた自分も悪いんですけどね、公僕である空港職員でさえこれなら、警察や政治家はどんだけ腐敗してるんだろうと思った次第です。

今はどうだかわかりませんが、改善されてるといいなぁ。



ニューデリーはいい人ばかりだったのに、ムンバイはほんとひどかった。

物を買ったらおつりをごまかす人とか、ツアー時間を10分短縮されたりとか、呼び込みの男に粘着質に後を付けられたりとか、両替時のレートを平気で高く言うおっさんとか……。

おまけにロストバゲージには遭うしね。


あ、これ、5〜6年前の情報なので、「インド人はそんなことしない!インド人はみないい人だ!!」とかケチつけないでくださいね(笑)

実際にいい人が多かったのも事実だし、それは私自身も承知してるんで。


CIMG8218.jpg


写真は、ムンバイのドービーガート(巨大洗濯場)と、背後に控える高層ビル群。

この貧富の融合こそまさに「インドの姿」という感じがする。

『スラムドッグミリオネア』の世界そのままです。




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